ヤマト福祉財団理事長  
  小倉昌男[おぐらまさお]  
  (1924〜)  
 

1924年東京都生まれ。東京大学経済学部卒。大和運輸(現ヤマト運輸)に入り、社長、会長を経て現職。宅急便など輸送サービスの新商品を生み出すアイデアマンで、運輸省、郵政省を相手に規制緩和を求めて戦う経営者でもある。

大和運輸は、1919(T8)年創業、日本で2番目に古いトラック輸送会社の名門。日本全体でトラックが204台しかなかった時代に、4台の車両で輸送業をスタート。しかし高度成長期のトラック長距離輸送の波に乗り遅れ、さらに石油ショックのあおりを受けて、倒産する恐れのある「危ない会社」と言われていた。

小倉昌男は創業者の父の後を継いで、1971年社長に就任。1974年「ヤマト運輸を救うには、これしかない」と役員会に宅急便の構想を提案したが、一人を除いて、全員の反対を受けるが「座して死を待つよりは乾坤一擲の勝負をかけよう」という小倉の熱意が役員会を説得、1976年、宅急便の運賃申請をなかなか受け付けなかった運輸省を説得し、1976(S51)年、関東地方から事業を開始した。「宅急便は電話1本で毎日でも集荷にやってくる」という噂が口コミで広がると、しだいに荷物が集まるようになる。その後も、クール宅急便、スキー宅急便など、次々と新しい商品を開発し、市場を開拓している。

1994(H6)年にヤマト運輸会長を退き、私財24億円を投じて、ヤマト福祉財団を設立、全国に4000カ所を超える精神・身体障害者のための無認可小規模事業所の支援に立ち上がる。

 
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